モデルニスモ とガウディ

ヴィンセント・スカーリー は一九六一年に出版したある本で『アール・ヌーヴォーは、その影響がアントニオ・ガウディに達したときに、とりわけ根本的なものであったように思われる。 彼の連続的な構造は、事実、常に共感をもってうけとめられてきた。平面においても立面においても、カサ・ミラは海蝕絶壁のようであり、岩を刻んだようなファサードは水でなめらかにされ、浸食されて、金属の海藻を吊り下げ、目のような窓が穿たれている。ワーズワース の十九世紀初頭のイメージや、ヴァン・ゴッホの後期の油絵のように全体が「渦まく」のである。 それは、自然界を鼓舞するリズムに、トータルな人間の参加を体現しているように思われる。』 とガウディとアール・ヌーヴォーの深い繋がりを述べようとしている。
また、高階秀爾は『ギマールのカステル・ベランジュのガラスの装飾や、マッキントッシュグラスゴー美術学校やレストランの装飾をはじめとして、ガウディのあの驚くべき植物模様にいたるまで、パリでも、ミラノでも、バルセロナでも、この時代はいっきょに建築装飾の花を開かせた。』 と表層的な部分のガウディを観てアール・ヌーヴォーに組み込んでいる。
しかし、これより年代的に幾分早い一九五〇年ブルーノ・ゼヴィー は『マッキントッシュよりも隔離され―ひとつのテンプルに、上品なアーティストというのではなく、神秘主義の高揚の実現に力強く強く立ち向かうアーティストである―天才アントニ・ガウディがある。 そのスペインの土地柄のようにヨーロッパの歴史的なコンテクストから外れ、彼はプラスティシティーを追求する怒涛のごとき理想によってアール・ヌーヴォーの方向性の存続を表現主義的な手法によって先行させた。』 と解釈に若干のニュアンスを付けている。


Modernismo/Modernismeの用語はO. Bohigas, 「Reseña y Catálogo de la Arquitectura Modernista」,Barcelona、1973年、P.79によれば「一瞥したよりよほど複雑でさまざまなマチスを持ち、しばしば矛盾さえ生じた。とはいえ、それらのあるものは取るに足らないことであり、用語のそれ自身の使用はこの運動を包含する文化・社会的な内容が説明する。」とある。
Vincent Scully Jr. (1920- ) アメリカ・ニューへヴンに生まれ、イエール大学に学び、同校で美術史学科の教授を勤めた、建築史、評論家。
V. スカーリー著、長尾重武訳、『近代建築』、鹿島出版会、SD選書、1972年、(原本は1961年刊行)、56頁