ガウディは近代建築家であったのか

最近のコンピューター解析を使っての研究を通じてガウディの面白い面がわかってきた。 それは主にカサ・ミラの始めての大規模な修復工事、また、サンタ・コロマ聖堂 の地上部分の理想復元作業などを通してである。
これらの経験や研究から分かったことは、先駆的な今井兼次も含めてのいわばガウディの残したものの合理機能主義的な解釈が意外に根拠のない事を示しているようだ。 例えば『バットレスは杖のようなもので、構造的な不合理さを補う無駄なものだ』という事をガウディが言ったとしている。 つまりガウディは柱を荷重の流れに対応させるために垂直ではなく垂直荷重と水平荷重との折り合いをつけるために斜めにしているということだ。
しかし、確かにガウディはマタロの協同組合 工場で初めて使った木製のものから最晩年のサグラダ・ファミリア教会の身廊まで、パラボラ・アーチを繰り返し使ったのだが、構造的な合理性を求めて使ったのだとするこれまでの一般的な解釈が崩れかけている。 つまり、カサ・ミラでは柱構造で石のカーテン・ウォールという解釈が出来るのだが、問題の構造主体である柱には通し柱が少なく、階毎にあまりにもその位置が散逸していて、構造的には完全に無理をしているところすらしばしば発見され、少なくとも合理とはほど遠い発想だということが分かっている。


Cripta de la Colònia Güell (1898〜1914年)

Cooperativa obrera mataronensa (1878〜83年)は工場棟(1883年)の一部などができたのみ。

最近修復されたマタロの工場棟