第三章 ガウディたちのモデルニスモ

バルセロナのガウディたち
ガウディをバルセロナの街に尋ねた人たちは、一様に日本の本棚から見る―種異様な、いわゆるガウディ様の特異性、突飛性とは違った印象をバルセロナの街で受けることだろう。 何故かといえば、このバルセロナの街では必ずしもガウディは孤高な建築家ではないからである。
ガウディの作品の多くあるバルセロナのグリッド状の市街区、いわゆる「エイシャンプレ」地区が、彼と同時代の有名無名な建築家の手になるファンタスティックな建築で満たされているため、ガウディがこのガウディたちに取り囲まれてしまっていて、日本から期待していた街並に際立つ特異性や突飛性といったものが逆にガウディたちのアナーキーな建築術に押しやられてしまい、ガウディが特異なものでも、むろん突飛なものでもなく、至極当然で果ては古典的で慎ましやかにさえ見えてしまうのだ。
エイシャンプレを埋めたここでいうガウディたちは、今日モデルニスモと呼ばれる時期の建築である。 当時のカタルーニャのある社会状況と文化意識、経済構造によって織り上げられ、これを背景としてエイシャンプレという新都市形成の場を借りてモデルニスモ建築は生まれている。
しかも、まさしく様式と呼ばれるにふさわしい一時の流行スタイル以上の展開と足跡とをバルセロナの新しい市景に焼き付け、カタルーニャの端々まで浸透させている。