テオドロ(・デ)・アルデマンス

Teodoro (de) Ardemáns
生:マドリッド/1664年 没:マドリッド/1726年
 ドイツの建、画、論。ドイツ出身の近衛兵の子として生まれる。若年には王室近衛兵として仕えている。科学を修め、数学を学び、アートにひかれ、アントニオ・デ・ペレーダ(Antonio de Pereda, 1608頃〜78年)、クラウディオ・コエーリョ(Claudio Coello, 1624〜93年)のもとで絵画を学んだ。グラナダと(Granada,1689〜91年)、トレドのカテドラル、マドリッドのアルカサール(Alcázar、1702年)に仕事をしている。1704年以降は王室画家として働くが、「レパントの戦い」(マドリッド司教博蔵、1721年)、「サンタ・バルバラ」(ラサロ・ガルディアーノ博蔵)など、わずかな作品しか残していない。装飾家としてはマドリッドの第三会病院の天井を描き(1683年)ルイス1世(在位1724年)はじめとする王家の葬儀を担当するが(1724年)、まもなくアシスタント、ペドロ・デ・リベーラ*に任せる。気品のあるスピリットを持ち、王室やマドリッド貴族に仕える建築家であり、高官であった。そして『ファン・デ・トリーハが書きトレドとセビージャで実現されたマドリッド都市改造についての宣言と追言』(Ordenanzas de Madrid y otras diferentes que se practican en las ciudades de Toledo y Sevilla...1719年)と『地球の流動性と地下水の経路』(Fluencias de la tierra, y curso subterráneo de las aguas 1724年)を上梓している。1690年頃フェリペ5世(在位1700〜24、24〜46年)のもとにつくられたファン・ゴメス・デ・モーラ*作のマドリッド市庁舎の塔と入口扉を改装、アルカサール内部をフランス宮殿風にも変貌させてもいる。1693年には第三会病院、1722年にはサン・ミジャン教会(San Millán)を設計、リベーラ*によるトレドの橋(Toledo, 首都の西部マンサナーレス河に架かる)の建設のスーパーバイズをしている。主にフェリペ5世の命によってつくられたラ・グランハ宮では主館の神殿(La Granja, 1721〜23年)を担当している。17世紀特有の時代の人であり、アルデマンスは優華なバロックと透明で単純な輪郭、ヴォリューム配置の確かさ、という軍人らしいバイタリティーと数学者の純粋性を反映した作品を残している。

三交社刊 建築家人名事典より

ラ・グランハ