カタルーニャの産業革命

近代工業を告げる蒸気機関カタルーニャに導入されたのは一八三六年のことである。スペイン初の鉄道がバルセロナとその衛星工業都市マタロとの間に開通したのが一八四八年のことである。 カタルーニャモダニズムと経済的主導権はこれで首都マドリッドを大きく引き離した。カタルーニャでは産業革命の怒海が押し寄せてきていたのだ。
当然のこと、これによって杜会状況は著しい変化が迫られていた。労働力を売る労働老階級の成立と、短期間に富の蓄積を成し新しい主導権を握ることになったブルジョアジーの誕生からくる社会構成の変化、他地方から流れ込む労働者の急増から引き起こされる物的都市構成の無理な変動、これらにともなう新しい社会的な要求といった世紀末特有な状況は、他のヨーロッパの近代工業都市にも一様に見られる現象と関連しているのはいうまでもない。
ただ、カタルーニャの場合、半島の他地方から分離独立しようという根強いカタルーニャ民族意識の高揚、また都市計画上の重大な転換期にさしかかったという二つの点で、他のヨーロッパ諸都市の世紀末での状況とはいささか違っていたのである。
カタルーニャは、マルコ・イスパニコ(スペイン辺境領)としてフランク王国を後ろ盾、まだ半鳥侵入の回教徒たちの前線地帯として八〇三年、ピレネーの両側に跨った独立国として成立している。また、スペイン初の海事法を一二八三年に編纂し、自治政府ジェネラリタートを恒久的議会機関として早くも一四六一年に生み出している、半島での最も古い国で、住民は金髪に碧眼、実直で勤勉として知られ、カタルーニャ語を日常語として交わしているのだ。


スペイン初の蒸気機関のレプリカ(俗称センテナリ、100周年を記念してレプリカが作られました)