市のガリーガ案

いわゆるセルダ案が成立する以前に、市の建築監督官ガリーガ・イ・ロカ(一八〇四〜八十八年)によるエイシャンプレ計画が発表されている。 これは市が予備計画としてガリーガに委託したもので、計画の一八五七年の翌年四月六日に諮間委員会を通過している。 これがいわゆるガリーガ案である。 その覚え書きによれば当面の要求事項であるバルセロナ市と隣接のグラシア市を結ぶ一帯だけに、エイシャンプレ計画区域を限っている。 「新しい住域は大きなブロックに割り付けられる。一辺は二百メートル以上、他辺は百四十メートルで快い庭園付きの広々としだ住宅がここに収められている。 街路は直線で普通十メートル幅、いくつかは二十メートル幅で、散歩道は五十メートル幅となっている。 そのほかの散歩道はほとんどが旧市街や計画の市域を眺められるように計画されている。」
市の堤出した予備計画であるこのガリーガ案が公開されて間もない一八五九年二月、市議会に打診もせず中央政府はイルデフォンソ・セルダによるバルセロナの拡張計画と改善計画のスタディを一年以内に発表する旨を通告する。 中央政府のこの強引無下な通告は、バルセロナ市当局を騒然とさせるに充分な材料だった。
市議会は中央政府のこの出方に対し、独自の公開コンペを二ケ月後に開催することを発表して対抗しようとする。 しかも、締め切りは七月末として、中央政府がセルダに与えた期間より充分余裕を見込んで先手を取ろうということだ。  ところが、中央政府の方もセルダの計画案をこのコンペの締め切りを待たない六月七日に認可して対応しようとしている。


V. Martorell Portas, 「Proceso Urbanístico de Barcelona」Cuademos de Arquitectura, Barcelona, 1960年, No. 42, P-9

後日期限は延期され8月末日までとされる。また一等入選には80レアーレスと金メダルが与えられているほか、街の中心の通りに入選者の名をつけることになっていた。審査員には、後年のガウディの師E. 口ージェント、 J.トーラス、 P. ビジャールなどの建築家があたり、参加者にはガウディが後年学生として参加したンウダテーラ公園の設計老J. フォンセレなどがいた。 Salvador Tarragó i Cid他, 「Atlas de Barcelona」, Barcelona, 1982年, PP. 439〜40, 444〜45