セルダ案の建築

建築レベルでもゼルダ案の前衛的な提案は注目に値するだろう。 それぞれのブロックは二辺のみ、それも二十〜二十四メートルの奥行きだけに建築面積がとられ、ブロック内のそのほかの空地は緑地に当てられ、十八世紀初頭シウタデーリャが建設される以前の田園都市バルセロナがここに再興されるわけである。 またブロック内の中央部分が内パティオとして開かれることから大きなオープン・スペースが不健全な市壁下の薄暗い都市像とは対照的に明るい陽光を窓々に射し込ませ、通気換気も容易になるばかりか、幅の狭い曲がりくねった通りが引き起こした通行混乱とは対照的に道路側とパティオ側に二重のアクセスを設けることができ、ブロック内の動線にも充分なファシリティが与えられている。
セルダは「家庭内における個人の独立性」、「都市内における家族の独立性」を唱えており 、これを満たすには「巨大なパティオというより庭園を持たねばならない。」と説いている。
またそれぞれのプロックは外周の歩道に八メートルおきに合せて五十六本、ブロッタ内に三十六本の合計百本近い樹が植え込まれることになる田園都市である。 人口密度はセルダ案成立時が八五九人/ヘクタール あったのに対し、セルダは二五〇人/ヘクタール と見込んでいる。


Grupo 2C, Los planos de Barcelona (1), Construcción de la Ciudad, 1972年, No. 0, p. 32

これらのセルダの都市計画論はセルダ著の「Teoría General de Ia Urbanización」の第三巻に集約されている。都市計画論は最初1867年一、二巻が刊行され、1968年に第三巻が刊行された。

現在は1000人/haとされている。

前掲セルダ没百年記念展カタログ、p.70