ホセ=ベニート・チュリゲラ

José Benito Churriguera
(マドリッド/1665〜1725年)はセゴビアのカテドラルにあるサグラリオの祭壇(Sagrario, Segovia, 1686〜90年)の作家。ブルボン家の王女マリア・ルイサの棺台のコンペ(1689年)に勝ち名を上げている。1690年10月8日に王宮の設計助手を任命されているが、無給でしかも1696年までこのタイトルに見合った仕事はしていない。1693年から1700年までサラマンカの新カテドラルのサン・エステバンの最大礼拝堂(San Esteban)の仕事に従事。後者はそのモニュメンタリティーと装飾の創作性が融合した最も美しいもののひとつ。ナバーロ出身のグアダラハラからさほど遠くないヌエボ・バスタンにガラス工場を設営した貴族ファン・デ・ゴエネチェ公爵(Juan de Goyeneche)の庇護を受ける。ここで、サン・フランシスコ・ハビエル教会(San Francisco Javier)、宮殿、パティオ、庭園、この小さな町の都市計画をさせている(Nuevo Baztán、1709〜13年)。またマドリッドではアルカラ通りにパトロン、ゴエネチェ公の館を設計、その入口は1773年にネオ・クラシックで改装されて、今日ではサン・フェルナンド王立アカデミー(San Fernando)となっている。晩年は祭壇を主に手掛けた。彼の死に際して『マドリッド官報』はスペインのミケランジェロと評した。彼の業績は主に祭壇彫刻家、装飾家としてあり、保守的で地方的ですらあった。

三交社刊 建築家人名事典より

主要作品
セゴビアのカテドラル・サグラリオのチャペル(Capilla del Sagrario de la Catedral de Segovia, 1686〜90年)
サラマンカのサン・エステバのン修道院付属教会の祭壇(Retablo mayor del Convento de San Esteban, en Salamanca, 1693〜1700年)
マドリッドのラス・カラトラバスの教会祭壇(Retablo mayor de la iglesia de las Calatravas, Madrid)
サラマンカのクエンカの神学校付属教会礼拝堂(Capilla del colegio Mayor de Cuenca, Salamanca, 1697現存しない)
レガネスのサン・サルバドール教会の祭壇(Retablo mayor de la iglesia de San Salvador, Leganés, 1701年)
ヌエボ・バスタンの都市計画(Nuevo Baztán, 1709〜13年)

トレド県オルガスのサント・トマス教会(Iglesia Santo Tomás Apóstol, Orgaz, Toledo)

マドリッドサン・カエターノ教会(Iglesia de San Cayetano, Madrid)
マドリッドのサント・トマス・デ・アキーノの修道院ファサード(Fachada del Convento de Santo Tomás de Aquino, Madrid, 1872年崩壊)
マドリッドのゴエネチェ宮(Palacio de Goyeneche de Madrid, 現サン・フェルナンド美術アカデミー, 完成はアルベルによる)
グアダラハラ県、イジャナのゴエネチェ宮(Palacio de los Goyeneche, Illana, Guadalajara)