マヌエル・ラーラ・チュリゲラ

Manuel de Larra Churriguera
18世紀活動
スペインの建。彫。ホアキン*、アルベルト*、ホセ・チュッリゲラ*の兄弟であるマリアーナ・デ・チュリゲラ(Mariana de Churriguera)を母としサラマンカの彫刻師 José de Larra Domínguezを父としている。1729年には伯父アルベルトとの協働でバジャドリッドのカテドラルのファサードに働いているように、アルベルトにつき修業している。サラマンカの新カテドラルに1741〜51年の間働き、同地の大学のヴォールト、書棚を実現させている(1749年)。また、同地のサン・アンドレ修道院の一部となっているカルメン・デ・アバホ教会を1756年完成させている。カセレス周辺でも仕事を残しているが、そのうちグアダルーペ修道院の新礼拝堂の設計 (1731〜32年)、星のアーチ、現カセレス広場からの、アクセス等を実現している。また、トルヒージョでは南米を制覇したピサーロ(Hernando Pizarro y de Vargas, 1502年, Trujillo [Extremadura], 〜1578年),の遺言であった故郷であるこの町にラ・コンキスタ候の宮殿(ピサーロはラ・コンキスタ候(征服候)のタイトルをもらっている。Palacio de los Marqueses de la Conquista, Torjillo, 1734年)を、コリア(Coria)ではカテドラルの鐘塔、祭壇(1744 〜46年)を手がけている。
《参考文献》
Jiménez, M.T., 『Nuevas aportaciones sobre Manuel de Larra Churriguera』, B.S.E.A.A, Valladolid, 1975年