アントニオ・ロペスのモニュメント Munumento a Antoino López

所在地:Plaça Antonio López

1884年設置

アントニオ・ロペス・イ・ロペス(Antonio Víctor López del Piélago y López de la Madrid, Comillas, Cantabria, 1817年〜Barcelona 1883年)はカンタブリア海のコミージャスの貧しい家の出で、キューバへ移住して巨万の富を築いた人物で、同様な目的で新大陸へ出たジョアン・グエルはサント・ドミンゴへと移住するわけだが帰国後はともにバルセロナへ居を定めて事業展開をするわけだがアントニオ・ロペスの娘の一人とグエイの息子が結婚することによって更に多くの資本が集められることになった。この巨万の富を受け継いだのが、ジョアン・グエイの息子でガウディのパトロンとなったエウセビオ・グエイであった。
アントニオ・ロペスのモニュメントは彫刻家ベナンシ・バルミッジャーナ(Venanci Vallmitjana, Barcelona, 1826年〜同 1919年)らの作。バルミッジャーナはバルセロナの美術学校で学び、1856年に同校の教授に任命され、多くの優秀な弟子たちを生んだ。その中にはガウディの友人であったJosep Llimona i Bruguera (Barcelona, 1864年〜同 1934年)もいた。
モニュメントの下部の羽目板は現在レプリカが嵌められている。アントニオ・ロペスの巨大なモニュメントは彼の巨万を築いたのが、奴隷売買によるものだとされる説があり、このモニュメントの撤去申請がされている。
バルセロナの他、生地コミージャスにもモニュメントを残している。1881年には皇太子アルフォンソ13世(Alfonso XIII de Borbón, llamado el Africano, Madrid, 1886〜Roma, 1941年)をコミージャスに招待し、そのために自費でスペイン初の電気の街灯を作らせた。1890年にはドメネク・イ・モンタネールのデザインでモニュメントが完成している。

また、海運会社トランスアトランティカ社の本拠地があったカディスには1922年に除幕したモニュメントがアントニオ・パレーラ(Antonio Parera, 1868〜1946年)によって作られている。