メルセ劇場 Sala Mercè

所在地:Las Ramblas, 122

1904年建設

ガウディの友人の一人で画家グラネ(Lluís Graner i Arrufat, 1863〜1929年)は1883年バルセロナの美術学校で、時代の代表的なモデルニスタ画家であったジョアキン・ミル(Joaquim Mir i Trinxet, 1873〜1940年)らに学ぶ。ミルの風景画への影響は大きかったのだろうが、彼の人生はさらに面白い。
卒業前の最終学年にマドリッドで学ぶための奨学金をもらい、プラド美術館で模写をしていたらしいがその後、バルセロナ県から奨学金をもらいパリへ留学している。パリではフランスの美術ソサエティーのメンバーに推挙されたりしてヨーロッパ各国で展覧会を開いた。しかしオットー・ワーグナー(Otto Wagner, 1841〜1918年)の総合芸術の論理に感化されると画家である事を放棄し、1904年にバルセロナに戻って、芸術界に新風を吹かせるという大望のもとにバルセロナにこの総合芸術の場として前衛の劇場”サラ・メルセ”を作った。
しかもこの劇場を設計するのに選んだ建築家というのが、ドメネク、プーチなどという時代の大御所の建築家ではなく、ガウディだったのだ。
彼のためには実現しなかったが別荘もガウディは設計しているので、これは単に設計者、クライアント以上の親交、建築あるいは芸術上での意見の一致があったのは間違いない事だろう。
サラ・メルセは演劇だけではなく当時の新しい芸術である、映画も上映された。しかし、事業的にはうまくいかず、1908年には専用の映画館として売られてしまった。その後1987年までこの劇場はアトランティック映画館として営業していた。アメリカ、キューバ、アルゼンチン、チリなどを歴訪している。しかもこの間友人たちの送金で生計を立てていた。
現在では建物自体も解体されて、ホテルになっている。

写真が残っているサラ・メルセ

サラ・メルセのあった場所