サンタロ博士の自宅改装計画 Reforma de la casa del doctor Santaló

所在地:Nou de la Rambla, 32

1900年

ガウディの親しい友人の一人にDr.サンタロ(Pere Santaló i Castellví, 1849〜1931年)がいた。サンタロとはカフェ・ペラヨで共通の友達から紹介されてから気が合って、生涯よき友達として家族ぐるみの付き合いをしている。
サンタロは9人兄弟だったが1860年バルセロナを襲ったコレラに両親はじめ兄弟全てを失って孤児になってしまった。医者になる事を決めた事にはこういった事情もあったのだろう。しかし、医者としては2年間しか仕事をせず、両親が残したわずかな財産を頼りにシングルマザーとその子供を面倒みる慈善事業に生涯を捧げている。
ガウディにとっては事実上の主治医といったところで、生涯彼の健康管理をしている。マルタ熱と診たのもサンタロであったし、1911年ピレネーのプッチセルダへの療養に同行したり、1904年モンセラの山に90を超える父を伴って山登りをしたり、あるいはサグラダ・ファミリアの御誕生の門ではファサードに張り付く彫刻では解剖学の知識でガウディにサジェッションをしたとされている。
ガウディが改装したというのはグエイ館と同じ通りにあったサンタロの持ち家のファサードであったが、何をどうしたのか具体的には分かっていない。

同じグエイ館の通りにあるとは言え、こちらは間口の狭い家で、ファサードもどこをガウディが手を入れたかは分からない。

一階にはお菓子屋さんがあり、左隣にはよく知られたバーがある