市電事故現場 El lugar del accidente de tranvia

所在地:Gran VíaとEnric Granados通りの交差点

1926年

ガウディの最期は思わぬ交通事故死だった。1926年6月7日グラン・ビアを走る30番の市電にはねられているという思わぬ最期だった。友人のサンタロ博士が入院していた病院への見舞いには行こうにも行くことがかなわなかったのだ。
何が起こったのだろうか。74歳とはいえ健康状態は良好だった。何かに気を取られて電車が来るのに気が付かなかったと言われているが、このガウディが轢かれた場所というのが、ガウディがグエイ公園に移り住む以前に住んだDiputació 339の家の至近距離であり毎日通っていた場所というだけではなく土地勘があったわけで、どこを市電が通っているのかも分かっているはずだった。どうにも腑に落ちないものがある。
3日後にガウディは意識が戻らないまま死んでしまうが、“貧者のカテドラル”の建築家ということで盛大な葬儀が行われた。

正面がグラン・ビア この左の側道に市電は走っていた