マタロの企業共同組合工場 Coopertiva Mataronense

所在地:Carrer de la Cooperativa, 47Mataró
作品解説
一八七八〜一八八五年 労働者が組合を作って就業者が同等の権利をもって事業を起こすという、スペインでは最初だったといわれる進歩的な事業にガウディは係わったことがある。これがマタロの企業共同組合のプロジェクトだ。共同組合自体はガウディの参加よりさらに早い一八六四年七月一日、二四七人の組合員で構成された。マタロはスペインで最初に開通した鉄道(一八四八年)がこの街とバルセロナを結んだように、産業革命と同調して繊維工業で盛んな街である。と同時に早くから労働者運動も芽生えていたのは容易に想像がつく。ガウディとの接点はたぶん、この革新的な労働者運動にも関心を示していたからであるおうが、この計画中に生涯唯一知られている、ガウディの恋物語の舞台であったことも関係しているだろう。
バルセロナの当時の隣接の村であったサンツでこの労働組合は操業していたが、当時やはり流行し特に、ジョブレガット川の上流でいくつも建設されていた、郊外の安い土地を利用し、しかも労働環境のよりよい場所でコロニーを作るというスタイルを労働組合は取り、マタロに労働組合制度を導入しながら移すことにしたのだ。
マタロの労働組合で、ガウディは工場棟、共同トイレ、労働者住宅を二棟の建設を実現させたまでで終ってしまったのだが、計画としては全体計画、カジノ、労働者用の集合住宅、また二種類の旗のデザインをしている。ガウディはこのプロジェクトが始まる頃、実は卒業するか、しないかの時期だった。いずれにしろ建築家のタイトルを取る前にスタートしている。ガウディの最初の作品は実質的にはこれだったかもしれない。
ガウディが設計した工場棟は現在では修復され、Nau Gaudí(ガウディ棟)と呼ばれて市の文化施設として使われ、内部の見学もできる、この工場棟に隣接した場所に作られた共同トイレも修復されている。この工場棟は綿製造で漂白の工程に使われていたが、スパン十メーター少々の木製のパラボラ・アーチに平瓦を載せ、外壁も平レンガを立ててシングルで塞ぐという工業建築であった。
卒業と同年の七十八年五月にあったパリの万博に手袋商コメージャが出品したショーケースの他、ガウディはこのプロジェクトもパリへ送っている。
サイト:http://www.poblesdecatalunya.cat/element.php?e=4160
火曜日〜土曜日17 〜 20 時
日祭日11時〜12時、月曜休館 毎月最初の日曜日は12時からガイド付き見学
アクセス:Sants, Plaça