ディエゴ・デ・リアーニョ

Diego de Riaño生:La Trasmiera[カンタブリア]生れ年不詳 没:1534年
スペインの建。
リアーニョの最初の記録は1523年セビリアで残されている。1517年に現場で働いていた同僚を殺し、リスボンに逃亡し1523年まで姿を消している。1527年にはバジャドリッドのカレッジで仕事をしている事が分かっている。同年の6月にはセビリア市庁舎の現場を仕切っていたことが分かっている。翌年にはセビリアのカテドラルの工事長となっている。ここでは未完に終わっていた部分の完成に力を入れたが、そのうちヒル・デ・オンタニョン*のアラバスターの僧席の側面を完成させている。聖器室ではゴシック色を払いのけ中央集中式のプラン、溝を彫り込んだ円柱、セビリアではこれまで使われた事のない楕円の窓などをデザインしている。
1526年末セビリアの市庁舎は着工された。市の最初のルネッサンスによる公共建築となった。この建設は没年の1534年まで続けられた。またセビリア司教建築家と任命されて以来数々の教会をセビリア郊外にも残している。
アラセナのサンタ・マリア・デ・ラ・アスンシオン教会(Santa María de la Asunción, Aracena), アルコス・デ・フロンテーラのサンタ・マリアデ・ラアスンシオン(Santa María de la Asunción , Arcos de la Frontera), アローチェのヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン教会(Nuestra Señora de la Asunción, Aroche), カルモナのサンタ・マリア・デ・ラ・アスンシオン教会(Santa María de la Asunción, Carmona), エンシノソーラのサン・アンドレス教会(San Andrés, Encinasola)などがある。

セビリア市庁舎と前広場


アルコ・デ・フロンテーラのサンタ・マリア教会