アレックス・クラベス・イ・プーチ

Aleix Clapés i Puig (1850〜1920年)
画家。
バルセロナ司教ジャウメ・カタラと同郷であるビラサール・デ・ダルト(Vilassar de Dalt)に生まれている。レウスの学校を出て、バルセロナで美術学校へ入る経歴を持っている。この経過がガウディと接近させたのだろうか、気の合う友人関係を保っていた。
バルセロナの美術学校ジョッチャを卒業すると、パリに出てモノクロの絵を描いたユージン・カリエ(Eugène Carrière, 1849-1906)の弟子となり、ローマでもは壁画を学んだ。
グエイ館では中央サロンのヘラクレスを描いたといわれるが、現存しない。ラ・ペドレラではノゲスとともに玄関周りの壁画、天井画を描いた。しかし、後年ガウディの長年協同者であるリョレンス・マタマラ*の息子ジョアンはラ・ペドレラでひと悶着あって、それがガウディのラ・ペドレラから手を引く原因だったと証言している。この騒動にクラペスか関係しているという。というのも、ガウディは内装工事をルイス・モレイ*に見積もりを取り、ミラ氏にも承認を得て決めたいたのだが、その後クラペスにも見積もりを取りなおしている。地上階のメインホールの工事が始まってからもこの二人の共同作業は共存したらしいが、製作のテリトリーをそれぞれ分けていた。しかも一階部分のミラ邸は全てクラベスが担当するという話が付いていた。一つにはミラ氏がクラペスのコレクターであった事もその原因になっていたからだ。ところがクラペスはある時全て自分の作品にしたい意向をミラに直訴して、これにガウディは腹を立てて現場から手を引いてしまったという。
画家時代の後は雑誌“イスパニア”を自ら起こし、その編集者をつとめた事もあったが、狂い死にしている。

クラペス自画像

ラ・ペドレラのフレスコ

クラペスがカサ・カルベのためにデザインした家具


クラベスのアトリアがあった家