トレド、ファン・バウティスタ・デ

Juan Bautista de Toledo生:不詳 没:1567年
スペインの建。
ラテン語ギリシャ語を話し、哲学を解し、彫刻、デッサンのできる父を持ったといわれる。トレドはローマで建築を学び(ミケランジェロ*とサン・ピエトロで働いたとされる)、ナポリで市心の道路ヴィア・トレード建設に参加、サン・ジャコモ教会(San Giacomo)などの仕事をしていたところをフェリペ2世(在位1556〜98年)から1559年にマドリッドに呼び戻され、当時王が着手しようとしていた大事業、エル・エスコリアル宮(El Escorial)の建設に着手することになった。着工は1563年4月23日。壮大さと単純さを基本的なコンセプトとしていたそのプロジェクトは王によって塔の数を減らされ、さらに単純質素化されていった。南面の建設に着手していた頃に彼は死に、その弟子のファン・デ・エレーラ*によって建設は続けられる。彼の実現させた主要な部分は下層にドーリア式オーダー、上層にイオニア式オーダーを使って見事なプロポーションを実現させている福音のパティオ(Evangelistas)である。その他、アランフェスの離宮(Aranjuez,1561年建設開始)、マドリッドのアルカサール(Alcázar)の建設に参加し、マドリッドのデスカルサス・レアーレスの修道院ファサード(Descalzas Reales, 1559〜64年))も彼の手になっている。

三交社刊 建築家人名事典より