メルコール・デ・ベラスコ

Melchor de Velasco
17世紀活動。
スペインの建。
オビエドでサン・ペラヨ修道院の付属教会(San Pelayo, Ovideo, 1654年)の鐘塔を設計。あるいは同地でサンタ・クララ修道院(Santa Clara, Oviedo)の改装をしている事が記録されている。1656年にはカンダス(Candas, カンタブリア)の桟橋の建設依頼されている。1658年にはガリシア地方へ移住して、オウレンセでサン・パイオの修道院(San Paio hacia la Vía Sacra, Ourense)に働き回廊、僧坊、管理棟などを実現させている。セラノバの修道院の付属教会堂(Celanova, Ourense県)の作者でこれを1653年に完成させている。1661年には修道院の内装の改装している。1667年にはオウレンセにかかる橋を1662年にはサンティアゴ・デ・コンポステーラの牢舎、1664年にはベルビス修道院(Belvís)の南翼を実現している。同年ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオスのカレッジ(Nuestra Señora de los Remedios)を、またサンティアゴの王立病院のボールト修復をしている。
もともとサンティアゴ・デ・コンポステーラへ呼ばれたのはサン・パイヨ・デ・アンテアルターレスの修道院(San Paio de Antealtares, santiago de Compostela)のためで、1658年に着工したが2年後に火災にあい、僧坊、主に修道院の東側に集中して工事が進められ、特にキンタナ広場のファサードは代表的な作品と言える。この作品でメルコール・デ・ベラスコはクラシシズムをサンタンデールからこの町に植え付けた。

サン・パイオの修道院キンタナ広場に面したファサード