アレクサンドレ・デ・リケール・エ・イングラダ

Alexandre de Riquer e Ynglada (1856 〜1920年)
貴族、博学者、デザイナー、画家、版画家、文学者、詩人。
貴族の家に生まれ、南フランス、ベジエで学ぶが絵に興味をもち、トゥールーズの美術学校に入学。1874年バルセロナに戻るとジョッチャの美術学校へ入学、絵の勉強を続ける。この頃詩も書いている。ローマ、パリへ遊学するが、1894年ロンドンへ到着し、前ラファエル運動、日本の美術に遭遇する。ウイリアム・モリスを知り、エドワード・バーン=ジョーンズに深く影響を与えられた。この出来事がカタルーニャへの時代のイギリスの影響を作った。
リケールは特にイラストの作品を多作し、その中にはポスター、本雑誌の表紙、絵葉書、メニュー、企業名刺、蔵書票などモデルニスモのスタイルを象徴するようなスタイルで描きあげた。
ジョアン・リモーナ*とともに1893年にサン・ジュックの美術サークルを設立し、ドメネク・イ・モンタネールとは1888年万博の国際ホテルの内装に協働し、同会場内のカフェ・レストウランテのファサードに張り付くセラミックでも協同した。
ガウディとはパラウ・グエイのなかの壁画で協働しているが、リモーナに紹介されたのか、彼がローマ、パリ、そしてロンドンと遊学する前の事で、ガウディはその後、サン・リュックの美術サークルで一緒になるにもかかわらず、仕事を一緒にすることはなかった。

ドメネク・イ・モンタネールに共同してデザインしたセラミック

パラウ・グエイ