スペイン唯一の産業革命の地

アントニの生まれたころのカタルーニャといえばバルセロナを中心として、スペインではいち早く産業革命を起こし、その工業勃興を背景とし経済的、文化的、政治的な中央マドリッドからの自立を決め、かつてのカタルーニャ自治復権しようとしていた時期であり、またレウスのような小都市が、大都市のゴールド・ラッシュに急激にその魅力を失いつつある時期であり、アントニ自身もその動きに例外ではなかった。
近代工業を告げる蒸気機関がカタロニアに導入されたのは1836年のことで、スペイン初の鉄道がバルセロナとその衛星工業都市マタロとの間に開通したのがそれから12年後の1848年のことである。カタルーニャモダニズムと経済的主導権はこれで首都マドリッドを大きく引き離している。すでにカタルーニャでは産業革命の怒海が確実に押し寄せてきていたのだ。これに対しカスティーリャでの最初の鉄道はこれより3年遅れの1851年、マドリッドとアランフェス間である。これは国王のいるマドリッドとその離宮のあるアランフェスを結ぶという全く産業革命との関係はない。

当然のこと、これによってカタルーニャの杜会状況は著しい変化が迫られていた。労働力を売る労働老階級の成立と、短期間に富の蓄積を成し新しい主導権を握ることになったブルジョアジーの誕生からくる社会構成の変化、他地方から流れ込む労働者の急増から引き起こされる物的都市構成の無理な変動、これらにともなう新しい社会的な要求といった世紀末特有な状況は、他のヨーロッパの近代工業都市にも一様に見られる現象と関連しているのはいうまでもない。
ただ、カタルーニャの場合、半島の他地方から分離独立しようという根強いカタルーニャ民族意識の高揚、また都市計画上の重大な転換期にさしかかったという二つの点で、他のヨーロッパ諸都市の世紀末での状況とはいささか違っていたのである。

このMATARO1-1-1がVillanueva Gertruの鉄道博物館残っているそうです。いつか見てみたいと思います。
イギリス製で、4台購入したそうです。