何度も訴えられた現場


公道にはみ出しているファサード

ところがこの現場で設計をしていくという方法はビューロクラシー的にはまったく合い入れないものがある。実際建設中の一九〇八年一月二十八日には役所からパセオ・デ・ダラシア通り側の敷地境界線を無視して歩道に一メートルも突き出しされた柱に対して公道不法占拠という抗議が出た。 二月十七日には、プロベンサ通りのファサードの突出部が二メートル、巾四十六メートル、パセオ・デ・グラシア通りのファサードでは三メートル、巾二十三メートルにわたって申請図面より公道にはみ出しているということで摘発されたのだ。 また建設がかなり進んでいた一九〇九年の九月二十八日にも軒高制限を超えていることが訴えられ、十月二十一日に市長から工事中止命令が出されている。これにも無感心だったガウディに対してついに十一月六日、二十四時問という制限付きの中止命令が厳しく言い渡された。階数は図面と同じなのだが階高が四.四メートルを越え、そのうえに六メートルほどの六つの塔が建ち4千㎡ばかりも都市計画法上の許容延べ床面積を超えてしまっていたのだ。 市の建築局の役人建築家も市条例を超える部分を直ちに取り壊すべきという意見を述べた、最終的には建物の芸術性があるとい事で例外が認められ結末がついた。
このように、ラ・ペドレラは市役所へ提出された図面とは随分違ったものとなったのである。 プランでは間仕切りのカーブが多角形に置き換えられている。 しかしカサ・バトリョのプランが角を丸く削り落としているというのに対して(もっともこの方は修復であるということもある)ラ・ペドレラはあくまで曲線からの草案であることが明らかである。その変更の理由は碓かにされていないが、恐らくは施工時間の短縮にあるだろう。 

彼はその作品の手工芸的な味わいとは別に、建築の工業化や新材料の導入といったことに必ずしも無頓着ではなかった。 グエル公園の門番小屋の屋根ではスペインで始めての建築への導入と考えられている鉄筋コンクリートを使っているし、ミラージェス邸の門ではその屋根にメタル・ラスを入れたセメント瓦というものを発明しているし、その若年ですら港のブロムナードに計画したモニュメンタルな街灯計画では電気技師との協同で電灯を据えているし、まだ市壁のとれていなかったバルセロナで、無防備な港風景すら描いているのである。ガウディは幾何学の研究にその晩年を費やすが、幾何学は建築を複雑にするのではなく、建設作業を容易するものだと考え、複雑な自然主義的な曲線を幾河学形に置換して建設作業の簡略化に努めている。 (それをもっともよく表わしているのはサグラダ・ファミリア教会のガウディ没後建設の部分で、彼の幾何学的な設計プロセスをシステム化することによって現在の建築が可能となっているのである。) ラ・ペドレラの床のためにデザインしたフローリングも同様で、不整形な床面それに円柱、角柱などに対してブレファブ化が最大限に可能なような形状が考えられている。しかしガウディの場合、技術が空間構成を支配するのではなく、あくまで空間構成に助力するものとして技術があることがこれにも見られる。これが現代のハイ・テック建築とは明確な違いを見せている。