アストゥリアス建築/Arquitectura Asturiana

サントゥジャーノ/Santullano, Oviedo

ティオダの最後の作品とされるサントゥジャーノ(またはSan Julián de los Prados)は半島における同時代最大の教会堂で、方形のアプス、切石積み、柱頭も柱基ももたない外陣の角柱、アプスのトンネル・ヴォールト、ナルテックスによる内陣の明確な分離、縄をモチーフとして使った窓飾りなど、明らかに西ゴート建築からの延長上にあるが、控え柱を備え、壁面から天井まで、絵画的装飾を施すというロマネスク手法の先取りをしている点で注目される。
といってもその絵画には宗教的モチーフも人像も現われず、幾何学的紋様と建築的風景を主体として、黄、赤、緑を主色とした多彩色で描かれているため、4〜6世紀のイタリア・モザイクを連想させる。それらを含めて考えれば、クラシックなローマのバシリカを基本的には規範としていることがわかる。



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サンタ・マリア・デ・ナランコ、オビエド/Santa Maria de Naranco
サンタ・マリアという名前からすると教会のようですが、実はラミーロ王の夏の離宮で、その後教会として使われた時期があったので、この名前で呼ばれています。素晴らしい建築です。ユネスコ文化遺産として登録されていますが、Lilloが完全な姿を止めていないのにこちらは、建設当時の姿を良く残しています。正面ファサードの完成されたプロポーションバットレスを使い、石造の筒状ヴォールトを支えています。


長手方向の両端にバルコニーがあり、レジデンスらしいプランです。一階はバスルームがあったようです。

バットレスレリーフ、エレガントですね。


オビエド近郊、ナランコの丘上に夏期離宮として848年に建てられたサンタ・マリア・デ・ナランコ(Santa María de Naranco)はサラマンカの司教セバスティヤンがすでに880年に記録しているように、「石と石灰のわが国の比類なき建物」なのである。
建物は2層でトンネル・ヴォールトと横断アーチによって覆われ、角柱のように装った控柱がこれを補強しているというもので、石造の架橋、控え柱も西欧ではほとんど最初の登用で、少なくとも年代的にはロンバルディア様式が生まれる以前にこれが使われていたことになる。
しかしこの由来についてはいまだ定説がなく、シリアからの伝来が考え得るとしても、経路も明確にできなければ、その溝彫りや柱頭といった装飾が、あまりに地方的であるため謎となっている。
下階は浴室、上層がサロンという構成で、長辺には2組の階段が付けられ(あるいは1組とも考えられる)、上層の両端にはトリビューンがあり、いわゆるベルベデーレの機能を果たしているようであるが、後には教会として転用され、現在はアストゥリアス文化の輝かしい記念碑として保存されている。(修復は1930〜1934年)
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サン・チルソ/San Tirso, Oviedo