トマールキリストの修道院/Convento de Cristo

アルーダ家 の長兄ディオゴ(Diogo de Arruda,1531年没)はトマールにあるキリストの修道院(Convento de Cristo,1160年開始、1510〜14年に働く)を代表作とし、ここではほとんどシュールレアリスティックな空間を生み出しているのである。
修道院自体は、城塞として創立はかなりさかのぼるが、その建設は17世紀まで続き、パラッディオに傾倒していたトラルバ(Diogo de Torralva)の“双フォリペの回廊”(1557〜1566年)をはじめとして大小5つの回廊で構成されている。アルーダの作中での頂点はこの修道院中、大窓(1510年頃)で、海洋時代を直接モチーフとして取り入れ、さらにインドからの見返しをデザイン化した特異な性格を打ち出した。
弟のフランシスコもまた兄とモロッコなどに作品を残すが、アンダルシーア回教建築からの影響を示しながら、ベレンの塔やシントラの宮殿をマヌエリーノで装わせたのである。
しかしすでに、彼らの作風のなかに、イタリア・ルネッサンスを見逃がすわけにはゆかないのである。

トマールキリストの修道院アクセス
1976年7月撮影

キリストの修道院Convento de Cristo
トマールの町を見下ろす丘の上にある。上り口には、そのつくりがいかにも宗教の町らしい落ち着いた感じの観光案内所がある。
坂を登りつめたところに修道院の入口の門があり、その奥に小さな城跡がある。テンプル(聖堂)騎士団を率いたグアルディン・パイスが1160年に建てた城で、エンリケ航海王も住んでいたことがある。そのアーチをくぐり、広い前庭を抜けると前面に階段があり、それを登ったところが修道院の入口になっている。
この修道院は、テンプル騎士団イスラム教徒の手からこの地方を奪回し、アフォンソ一世から恩賞として与えられた土地に建立したとされている。やがて、パリを本拠とするテンプル騎士団は、フランスのフィリップ四世(美貌王)がその財力と権力をうらやむほどに発展していった。そのため、14世紀以降は政治的圧力が加えられるようになり、時のポルトガル王ディニスも、この修道院テンプル騎士団の手からキリスト教騎士団に移してしまった。現在、「キリストの修道院」と呼ばれるのはこのため。
入口を入った右手が「テンプル騎士団の円堂Oratório dos Templários」と呼ばれるところで、いちばん古い部分。平面が八角形で、ビザンチン風のロマネスク様式。内部装飾の多くは後のマヌエル一世時代のもの。黒く見えるのは、1810年、ナポレオン軍の焼き討ちにあったためである。
入口の左手、すぐ横の小さな扉を抜けると大回廊(ドン・ジョアン三世回廊)Claustro de D. Joao IIIへ出る。イタリア・ルネッサンス様式がマヌエリーノ様式にアレンジされて16世紀に建てられた回廊で、別名フェリッペ家の回廊。スペインのフェリッペ二世がここでポルトガル王フェリペ一世として戴冠したからである。
その先に、この修道院最大の見ものである大窓がある。これは、マヌエリーノ様式の傑作として知られているもので、大航海時代を代表する海草、綱、鎖といったが盛り込まれたダイナミックな彫刻で飾られ、シュール・レアリスティックな表現さえ見られる。
その他にも、大小さまざまな回廊がある。墓の回廊Claustro de Cemiterioとその右の沐浴の回廊Claustro de Abluçaoはエンリケ航海王が建てたもので、17〜18世紀の腰板にアズレージョスが美しい。
エンリケ王子はキリスト教騎士団の団長になり、ここに住んだ。後サグレスに移転したが、大航海時代の幾多の航海や調査に要した莫大な費用は、キリスト教騎士団の収入でまかなわれた。また大航海時代の帆船の帆に描かれている十字架は、この騎士団の紋章である。
実業乃日本社刊『ブルーガイド・ワールド ポルトガル
114〜115ページより

■アルーダ、ディエゴ・デ
Diego de Arruda
生:不詳 没:1527年頃
 ポルトガルの建。マヌエル様式の最も代表的な作家。1507年にリスボン王宮の建設を依頼されている。トマール(Tomar)では1510年の契約以来、騎士団会の円形プランの教会と聖器室に身廊を付け足し、その独特な装飾で名声を得ている。この装飾に海洋のモチーフが見られるのは、この国の一大飛躍のエポックである大航海時代と合致しているためで、アルーダがモロッコへ旅行をした時期に設計されたからともされている。その弟●フランシスコ(Francisco, 1547年没)はモロッコの旅(1513〜14年)に同行し、彼自身もマヌエル様式の代表的な建築家としてベレンの塔(Torre de Belem, 1515〜20年)をオリエンタリズム、海洋時代の影響下にリスボンに建てたほか、エルヴァスのカテドラル(Elvas)、同地の水道橋を建設している。
三交社社刊『建築家人名事典