3/14 ベジェスグアルド邸 Bellesguard


1974年11月撮影

ベジェスグアルドはカタロニア語で美しいながめという意味である。その名の通りバルセロナの山の手ティビダボの登り坂にあり、全市景と海とを眺望に持った土地で、古くは12世紀アラゴンのアルフォンソ二世による建造物があつたといわれるが、ベジェスグアルドの命名は1408年、カタロニアの最後の王であるマルティン1世によってその別邸としてこの地に建物がつくられたことがその王の書簡から明らかとなっているばかりか、実際遺構が残ってさえもいた。
この歴史あり,風景ありという敷地に1900年ガウディは別荘設計の依頼を受けた。その主はマリア・サゲス未亡人María Saguésである。この土地はもともと文人ジョセップ・フラケール・フライセ(Josep Flaquer Fraisse, 1832〜1889年)がアストルガの司教であり、ガウディの友人であったジョアン・バウティスタ・グラウに1888年5月24日に譲渡したものであった。この司教は1893年突然なくなってしまうのであるが、その遺言で財産はすべてレウスの貧しい子供たちの教育をするための学校を作るために当てよということで、1900年6月12日にマリア・サゲス未亡人に売られた。この未亡人は文盲で、この土地を買う時の土地登記にサインができなかった。そのサインを代行したのがガウディであったのだ。グラウ司教とも親交があったのだが、ガウディは彼女にとって信頼の置ける一人であったからである。めぐり合わせであろうか、あるいはガウディが未亡人に持ちかけて決まったのか定かではない。
この設計依頼に対してガウディはふたつのことを保存するよう努めたのであった。つまりカタロニアの栄光の記念碑としての史跡、そしてこの美しいランドスケープである。
史跡としての保存は,わずかばかり残っていた、かっての王地の遺構をできる限り再建して新築の別荘と一体化させることであった。そして遗構は再建され、門番小屋として使われることになり、それらは女墻の付いた塁壁で結ばれた。このために既存の舗道に修正が加えられ、新たに道が開かれたのだが、ここにガウディはまったく新しい記念すべき構築法を用いたのであった。というのも丁度この場所は大きなレベル差があり、陸橋を架けなければならなかったのだが、それを支えるために傾斜柱を用いたのである。この傾斜柱こそ後にグエイ公園あるいはコロニア・グエイ地下聖堂で本格的に使われ、サグラダ・ファミリア教会身廊部に使おうとしていた柱を傾けて垂直荷重を受けるシステムで、ガウディの構造家としての手腕を示したものである。


ベジュエスグアルドの敷地前の陸橋で初めてガウディは傾斜柱を作った