2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

1764年以降 カディスのサン・フェリペ・ネリ教会

カディスのサン・フェリペ・ネリ教会/iglsia de San Felipe/キューポラ/ペドロ・ルイス·グティエレス・デ・サン・マルティン/Pedro LuisGutiérrez de San Martin (1705‐1792)/カディス/Cádiz, Andalucía/1755年のリスボン地震後に再建される

1763年 ボバディージャ・デル・モンテ

ボバディージャ・デル・モンテ/Iglesia de Boadilla del Monte/ロドリーゲス・ティソン、ベントゥーラ/Ventura Rodrra Rodríguez(1717年-1785年)/ボアディージャ・デ・モンテ/Boadilla de Monte, Madrid

1763年完成 オルガスの教区教会

オルガスにある教区教会を建設。これはその没後に完成している。/Iglesia Parroquial de Orgaz/アルベルト・チュリゲラ/Alberto Churriguera (1676-1750)/オルガス/Orgaz, Toledo, Castilla La Mancha

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑬

グエル家管理人の家Casa del portero en el terrado para Palau Güellグエル邸の構成は前の通りが狭いこともあり、車寄せが建物の中に作られているのがまず特徴。馬車あるいは馬から下りるとメイン・フロアに繋がる階段があるが、それ以外の諸室はサービス・…

1763〜1795年 サン・ペドロ教会

サン・ペドロ教会/San Pedro Capilla Sacramental/アンブローシオ・フィゲロア /Ambrosio Figueroa (1700?‐1775)/カルモーナ(セビージャ近郊)/Carmona, Sevilla, Andalucía/Sevilla近郊

1763〜1767年 サルバドールのカテドラル主正面ファサード

サルバドールのカテドラル主正面ファサード /Catderal del Salvador/ロドリーゲス・ティソン/ベントゥーラ/Rodríguez Tizón (1717‐1785)/サラゴサ/Zaragosa, Aragón

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑫

サン・ジュスト・イ・パストールの教会(Sant Just i Pastor) カタルーニャというのはある意味では屈辱の歴史であるわけだが、世紀末前後の繊維産業を契機に経済力を付け、この文化の独自性を吹聴する成果を得た。カタルーニャ語はカタルーニャ語国際会議を19…

1762年 『装飾と躯体の美学』の刊行

『装飾と躯体の美学』の刊行/ディエゴ・デ・ビジャヌエバ/Diego de Villanueva (1715-1774)/マドリッド/Madrid, Madrid

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑪

薬局ジベルトLa Farmacia Gibert 1879年建設 グエルの父、ジョアン・グエルは南カタルーニャのトーレデンバーラ(Torredembarra)の出身であったが、ジベルト家は同地で代々薬局を開いていた。これで設計依頼の経過が分かってくる。しかもジベルトの子孫は後年…

1762年完成 クエンカのロレンツォ・デ・サンタ・マリア教会

クエンカのロレンツォ・デ・サンタ・マリア教会/Lorenzo de Santa María/ハイメ・ボルト・メリア/Jaime Bort Meliá/クエンカ/Cuenca, Castilla La Mancha

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑩

トラスアトランティカ社のパビリオン El pabellón de la compañía Trasatlántica 1891年の夏か秋にガウディはアンダルシア、そしてモロッコのタンジールへと旅行をしている事がガウディが残した経費請求書から分かっている。それより以前に、ガウディが現場…

1762年以降 エシハのサンタ・マリア教会のポルタル

エシハのサンタ・マリア教会のポルタル/Santa María /Portal/アントニオ=マティアス・フィゲロア/Antonio-Matías Figueroa (1734年頃〜96年頃)/エシハ/Écija, Sevilla, Andalucía ムデハルの教会を覆うように1717年着工、その後リスボン大地震で大きなダメー…

1761年 セビージャの闘牛場

セビージャの闘牛場/Plaza de Torros/ビセンテ・デ・サン・マルティン/Vicente de San Martin (18c)/セビージャ/Sevilla, Andalucía/Francisco Sánchez de Aragón y Pedroとの共働

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑨

サンタ・クレウの病院Hospital de la Santa Creu 1401年、マルティン王の参列でバルセロナに一大病院が着工された。これがサンタ・クレウの病院。4病棟がパティオの周辺に配置され、それまで町の何箇所かに分散していた医療施設をここに集結するという一大計…

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑧

カデーナ通り22番地のガウディの家carrer de la Cadena, 22 (現在rambla del Raval) 伯母の家に居候になって建築家たちの間をアルバイトができるようになると1873か4年にはガウディは自分で家を借りるようになる。今度は市心よりは少し外れて、ラス・ランブ…

1761年 バルセローナの医学学校

バルセローナの医学学校/Facultad de Medicina/ベントゥーラ・ロドリーゲス・ティソン/Ventura Rodríguez Tizón (1717‐1785)/バルセロナ/Barcelona, Catalunya

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑦

カフェ・ペラヨCafé Pelayo (1883〜1888年頃) 歳晩年の1925年にガウディは住んでいたグエル公園の家を引き払いサグラダ・ファミリア教会の工事現場に泊まりこんで、仕事と生活を共にし、この贖罪の教会建設続行に専念した。これには一般的にはある解釈が付け…

1761年着工 リェイダの新カテドラル

リェイダの新カテドラル/Catedral Nueva de Lleida/ジョセップ・プラット/Josep Prat (18世紀活動)/ペドロ・マルティン・セルメーニョ+Pedro Martín Cermeño /Pedro Martín-Paredes Cermeño (1722-1790)/レイダ/Lleida, Catanunya

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑥

プンティの町工場 Taller Eduardo Puntí コメージャのためにデザインしたパリ万博用のショー・ケースはプンティの町工場で作られた。センドラ通りは当時バルセロナの市心からは若干外れたところにあって、町工場が並んでいた場所で、今では当時の細い通りを…

1761年頃 サン・フランシスコ・エル・グランデを設計

サン・フランシスコ・エル・グランデを設計/San Francisco el Grande /ホセ・エルモシージャ・イ・サンドバル/José Hermosilla y Sandoval (1715-1776)/マドリッド/Madrid, Madrid

バルセロナのガウディ建築案内番外編⑤

ベルダゲール・イ・カイス16番地の家 エスパルテリアの家にもはやり2学期しかいなかたったが、その後は母方の伯母さんに家に居候することになった。1872 から1874年までウルスラ・コルネ(Úrsula Cornet)のいた家(calle Verdaguer i Callis, 16 4º)に厄介…

1761〜1781年 レリダ新カテドラル

レリダ新カテドラル/Catedral Nueva de Lleida/フランチェスコ・サバティーニ/Francesco Sabatini (1721‐1797)/レリダ/León, Castilla León

1760年 バジャドリッドのオーガスティン派修道院

バジャドリッドのオーガスティン派修道院/Convento de Augustinos/ベントゥーラ・ロドリーゲス・ティソン/Ventura Rodríguez Tizón (1717‐1785)/バジャドリッド/Valladolid, Castilla León