2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

少年時代の終末

しかしこの三人組のこの計画もまもなくリベーラは孤児になってしまい、親戚のいるアルメリアへ移住し、トダもマドリッドへと勉学のためにレウスを去ってしまうことで破れてしまう。いずれにしろ実現されたわけではないこの修道院計画自体に重要性があるわけ…

マドリッドCaixaForumのヘルツォー+ムーロン

メインのファサードですが、上部はレストラン、機械室などがあります。コールテン鋼に穴がランダムに開いているのですが、居住性はないですね。大通りに面しているので残念です。1階部分はほぼピロティーで気持ちがいい空間です。施工が悪いですね。バルセロ…

ポブレ修道院修復計画

ポブレ修道院はレウスから40キロばかりのところにあるシトー派の修道院で、サンタ・クレウス(Santes Creus, 1150)のそれと並んでカタルーニャ地方の二大修道院のひとつであるが、1835年の勅令(いわゆるメンデサバルの法というもので、教会の所有地を国有化し…

FORUMのヘルツォー+ムーロン, Barcelona

壁面のパネル 天井も同じパネルが使われています 実はこの建物はユネスコが主催する文化フォーラムの会場として2004年に建設されたのですが、会期後はまったく使われていませんでした。一説にはバルセロナ市内で最もお金のかかった建物と言われていたのです…

ポブレ修道院

残念ながらガウディの回答は残っていないが、エスコラピオスの学校へ入ることになったということは、ガウディ家の経済状況を物語る。後に兄は医学、姉はボヘミアンの音楽家と結婚ということだけをみるとあたかも裕福な家族のように見えるが、釜師の庵ですら…

1/3 中学校時代

ガウディが通ったエピスコラピオスの中学校、現在は公立のサルバドー・ビラセカ学校となっている。1863年、11歳になったガウディはレウスのエスコラピオスの中学校へ入る。この学校は貧しい家庭の子息たちの教育に力をいれている宗教団体の経営になるもので…

ガリシア現代美術館/Alvaro Siza, santiago de Compostela

メイン・アクセス メイン・エントランス レセプション・ホール カフェ、ミュージアムショップ 石はカテドラルで使われた御影ですが良材はもう取り尽くされたようで、給水性能にかなり問題があり直ぐに黒くなってしまいます 工事現場、ここでシザの名前を発見

1/2 家族と幼年期

アントニは5人兄弟の末子として生を受けたが、必ずしも兄弟運は良くなく、4人の兄姉は全て若死にしてしまう。長女は1844年生まれで、名をルゥゼール(Roser)、成人してアルコール中毒のボヘミアンで音楽家と恋に落ち同名の女の子を残して亡くなる。その子は叔…

ビルバオのゲーリー/Guggenheim Bilbao

このビルバオのグッゲンハイムが出来なかったら、もちろんマルケス・デ・リスカルのワイナリー附属ホテルは出来なかった。このビルバオのグゲンハイムが出来なかったら今のゲーリーはなかったのでは・・・。 Richard Serraの彫刻が入り、この100メーターの馬…

スペイン唯一の産業革命の地

アントニの生まれたころのカタルーニャといえばバルセロナを中心として、スペインではいち早く産業革命を起こし、その工業勃興を背景とし経済的、文化的、政治的な中央マドリッドからの自立を決め、かつてのカタルーニャの自治を復権しようとしていた時期で…

Marqués de Riscalのゲーリー

ワイナリーとしては老舗のひとつであるマルケス・デ・リスカルがゲーりーに敷地内にホテルの設計を依頼。 アクセス部分 ホテル内に展示されている模型 レセプション前のキャノピー 客室 レストラン 客室棟とメインエントランスを繋ぐブリッジ 客室 客室棟か…

レウスへ行きました

サン・ペラ教会外陣外壁2011年6月24日 昨夜はサン・ホアンの火祭りで今日は祭日。明け方まで花火が煩くて熟睡できなかったけれどこの休日を利用してレウスへ。レウスには1972年依頼何度も足を運んでいるけれども、実はレウスの人たちがガウディが生まれたと…

天然ガスのミラ−ジェス/EMBT, Barcelona

昨日はガス供給会社を見に行きました。 ガス会社が世紀末に発足したわけですが、この頃に作られた給水塔が残されました。もともとは1843年カタルーニャガス公社として発足したので、この時代の一部でも保存しようということです。 全体としてはミラーガラス…

レウスとタラゴナ/タラゴナとレウス

レウスはその県庁所在地タラゴナから10kmばかり、タラゴナの平原にあり、背後を小高い丘、前方を地中海に臨んだ位置を占め、当時はタラゴナ市を追い抜きカタルーニャ地方の商業の中心として俗にロンドン、パリ、レウスと言われていた。(無論これは大袈裟な言…

ロジャーズ/Rogers

Hesperia Towerホテル, Barcelona ガラスのUFOが最上階に乗る前、このガラス内はレストラン。Santamariaというチェフがいたのですが、今年突然亡くなられました、といってもこの中で食事はしたくないと思います。このホテルにも泊まりたくないですね。 バ…

建築の通史

という事を厳守すればもうここで終わらなければならないわけですが、79年(原稿は75年で終わっています)当時の書き漏れ、書き忘れがたくさんあるので続けることにします。80年代後半はスペインの建築家も国外で仕事を始めるようになるのですが、インターナシ…

ふたつのプレート

リウドームスの家とレウスの家どちらで生まれたかというのは実際、 分からないわけですが、ガウディの没後ガウディについての最初の本を書いた、しかも弟子であった建築家ラフォルスによって突然1951年に言いだされました。その年ラフォルスはカタル−ニャの…

新らしいBlog開設しました

アントニ・ガウディについてです。 http://d.hatena.ne.jp/Arquitecto+AntoniGaudi/ よろしく。

1. 経緯 1/1誕生

タラゴナ県レウス(Reus, Tarragona)のサン・ペドロ教区教会(Sant Pere)1852年6月26日日付けの洗礼記録によれば、昨日午前9時半、リウドームス(Riudomus)の釜師フランセスク・ガウディ(Francesc Gaudí)を父とし、レウスのアントニア・コルネ(Antonia Cornet)…

75年以降

エリアス・トーレス+ホセ・アントニオ・ラペーニャの熊本図書館フォスターのコイセローラのテレビ塔, Barcelona フォスターのビルバオ地下鉄、Bilbao (俗にフォステr−トという愛称があります)

「あとがき」にかえて

このようにスペイン建築史は南西ヨーロッパと北アフリカの接点という、その地理的位置条件がために波乱にとみ、8世紀に及ぶ回教徒支配という歴史、あるいはキリスト教圏にありながらも回教徒の足跡を消しがたいという文化状況が、西ヨーロッパからも北アフリ…

まえがき

このBlogは1978年に彰国社から出していただいた「ガウディの生涯」を底本として、いわゆる校正、加筆したものです。 当時はガウディの定本はなく、それだからこそ書いたのは教科書のような本になっています。しかも、30歳になる前に恐る恐る書いた本です。さ…

スペインの現代建築

現代建築とGATEPAC スペインの現代建築を語るには合理主義時代にまで遡ることが必要になってくる。1929年のバルセローナ万博で見せられたミースのあの小さいが近代建築のエッセンスのような作品は当時国内では全くというほど理解されなかった。 …

ミラージェス (2)

モレージャの学校, Morella 正確には前妻のカルメン・ピノスとの協同ということになりますが・・・。 ウエスカの体育館, Huesca 工事中事故の起きた体育館です。 アーチュりー場、Barcelona オリンピック施設のなかでも一番前衛的なパビリオンでした。現在は…

ミラージェス/Enric Miralles

イグアラーダの墓地,Igulalada 彼の作品のうちやはりこれは名作ですね。 ここがエンリック・ミラージェスの墓です。

モネオ/Rafael Moneo

ログローニョの市庁舎(1973-81年) セビリアの空港(1989−92年) セビリア万博に合わせてオープンしたのですが、ヴォールトが連置されるという、中々空港では珍しいタイポロジーとなっています。ベンチなども若干一昔前といった仕上げで面白いなと思いました…

カラトラバ、バレンシアのLa Ciudad de las Artes y las Ciencias

カラトラバ/Calatrava

70年代後半から80年代にわたって話題を振りまいたのはボフィールでした。彼の最近の作品、つまり本拠地をパリからバルセロナ近郊のSan Justの旧セメント工場の跡、彼がカテドラルと呼んでいるアトリエに戻ってからの作品には良いものがたくさんあります。初…